私は男性不妊症を専門としているので、いろんな人の精液検査を行います。
この前、とある特殊な精液検査を依頼されたお話をします。

チンパンジーの精液検査

先日、縁があって東京都にある多摩動物公園のチンパンジーの精液検査をしてほしいとの依頼を受けました。ヒト以外の精液検査をしてほしいという依頼は初めての経験で、びっくりしました。

チンパンジー

多摩動物公園のチンパンジーのデッキーは、野生のチンパンジーではなく、動物園で生まれたチンパンジーのため、交尾をすることができません。そのため、人工授精といって、デッキーから採取した精子をメスのチンパンジーの子宮の中へ細いチューブを使って入れる必要があるのです。しかし、今までチンパンジーの人工授精は世界的にも報告がほとんどなく、数年前にトライしたときは結果的に失敗してしまったとのことでした。

動物園の獣医の皆様は、再度失敗をしないためにも、人間の人工授精方法を研究し、チンパンジーに応用することで再トライしようと考えているのです。そこで、一度精液検査を行ってほしいとの要望があり、私のクリニックで行うこととなりました。

チンパンジーの精液とは?

そもそも、私はチンパンジーの精液を見たことがありません。話には聞いていたのですが、実物を見たときはビックリしました。

チンパンジーの精液

チンパンジーの精液のほとんどは個体であり、図のように塊になっています。まるできな粉をつけていないわらびもちのようです(実際はもっと固いです)。大きさは3cm以上あり、思っていたよりも大きかったです。個体部の周りに液体部があり、そこで精子を見ることができます。

デッキーは何らかの刺激を受けると射精するそうです。たとえば、見慣れない人を見たり、新しい長靴をみただけでも喜んで射精することがあるとのことでした。
人間でもブーツフェチの人がいますが、デッキーは長靴フェチでしょうか。

チンパンジーの精液は液体部、凝固部そして交栓部の3つのパートに分かれています。後者の2つ(凝固部と交栓部)はほかのオスの精子侵入を防ぐ働きがあるのです。

一方、一夫多妻のゴリラや、人間と同様の一夫一妻のテナガザルは精子競争がほとんどないため、凝固部と交栓部を持っていません。人間も一夫一妻制なので、精液は液体だけですね。

チンパンジーの精液(顕微鏡)

チンパンジーの精子を顕微鏡でのぞいて見ると、図のように人間と同様の形をしています。これだけ見ると、チンパンジーの精子と人間の精子は見分けがつきません。

ちなみに、人間の精子は「これ以上低いと自然妊娠は難しく、男性不妊症の可能性がある」という正常下限値というものがあります。

チンパンジーの精液検査の正常範囲は不明です。しかし、人間の精液検査の機械で、デッキーの精液検査を行ってみました。

デッキーの精液検査結果は以下の通りでした。

デッキーの精液検査の結果
  • 精子濃度 3730万個/ml   1500万個/ml
  • 精子運動率 63%(40%)
  • 前進運動率 45%(32%)
  • 正常形態率 10%(4%)

※()内はヒトの正常下限値です

なんと、デッキーの精液検査は人間では正常範囲内でした。人間だったら自然妊娠も可能なのにな、と思いつつも、チンパンジーの正常範囲はどんなものか、興味があるところです。

今後、多摩動物公園の獣医さんたちに協力して、人工授精の研究を進めていく予定です。ヒトだけでなくて、チンパンジーの生殖にもかかわれることをうれしく感じ、多摩動物公園のスタッフの皆様のプロ意識に敬服したという一件でした。