ゼロから始まった「非匿名精子バンク」構想

プライベートケアクリニック東京 東京院にて精子バンクを運営する伊藤ひろみです。

前回の記事では、自己紹介を兼ねて、夫の無精子症や海外で非匿名の精子提供を受けた経験、そして自ら卵子ドナーになった経験についてお話ししました。

ドナーさんのおかげで2016年に娘を出産し、幸せな毎日を過ごす中で、私は日本に非匿名の精子バンクを作りたいと考えるようになりました。

独立した精子バンクの必要性

日本で行われてきた精子提供では、提供精子を用いた人工授精を実施する医療機関(大学病院の産婦人科や不妊治療クリニック)が、自ら精子ドナーを募ることが一般的でした。

一般から公募するというよりは、系列の医学生や、院内の患者さん(女性側に不妊の原因があるケース)に声をかけ、ドナーになっていただくことが多かったそうです。現在もそのような方法でドナーを集めている医療機関があり、うまくいっているケースもあるものの、ドナー不足により治療自体を終了する医療機関が相次いでいました。

海外でも、医療機関がドナーを集めるケースはあります。一方で、ドナー集めに特化した公的・民間の精子バンクがドナーを募り、医療機関に精子を供給するケースもあります。特に民間精子バンクの方が、より多くのドナーの採用に成功している実績がありました。

その成功の理由は、後になって少しずつ知ることになるのですが、当時の私は、証券会社に勤めていた際に関わった鉄道会社や航空会社の「民営化」による成功を念頭に置いていました。もともと国や地方自治体が株式を所有していた企業が、株式公開によって「民営化」され、外部の目や競争にさらされながら事業を拡大・効率化していく過程を分析してきたのです。サービスの安全性を損なわずに、事業としての収益性を高めていくことは、日本でもさまざまな業界で実現しています。

こうした民営化企業の事例を参考に、医療機関ではなく民間企業が主体となり、マーケティングや営業、ITなど、多様なビジネス経験を持つ人材を集め、広く一般からドナーを募る仕組みを作ることが重要なのではないかと考えていました。

そして、人口の多い東京でドナーを集め、全国の医療機関に配送する仕組みを確立することで、地方でも精子提供を受けられる体制を整えたいという目標ができました。さらに、東京という多様な人が集まる場所であれば、非匿名のドナーも集められるのではないかと思ったのです。

まずは行動してみたものの……

日本にも独立した精子バンク、それも非匿名のドナーを募る精子バンクが必要だ。

そう強く感じた私は、精子バンクの立ち上げを目指す活動を2016年から始めました。

とはいえ、当時は精子提供に関わる知り合いすらいなかったため、たった一人。何をしたらよいのかすら分からない状態でした。

まずは会社を立ち上げ、生後5か月の娘を認可外保育園に預け、一日7時間働き始めました。エンジニアを雇い、不妊治療クリニックの口コミ・情報サイトを作る傍ら、精子提供に関する勉強会に参加したり、この分野に関わっている医師や支援者、政治家にお話を伺ったりしました。

しかし、「ドナーは必要だが、精子バンクを作ることは難しい」「民間精子バンク(=営利目的での精子の提供やあっせん)は日本では認められない」「まずは法整備が行われてから」といった後ろ向きな意見ばかりで、力になってくれる人を見つけることはできませんでした。

一緒に精子バンクを作ろうと言ってくださる医療者が見つかる気配など、ゼロでした。

売上はほとんど立たないので自分の給料は支払えず、エンジニアの給料と認可外保育園の高額な保育料の支払いによって貯金はどんどん減っていきました。果たしていつまで続けられるのだろうかと、悶々と悩む日々でした。

デンマーク訪問の思わぬ収穫

2017年の夏休み、旅行を兼ねて家族でデンマークを訪ね、私たち夫婦が利用した精子バンクを訪問しました。

1歳の娘と一緒に訪問し、「あなた方のおかげでこの子が生まれたんだよ!」という感謝の気持ちを伝えるとともに、日本でも精子バンクが必要とされているという話をしました。

さすがに、「それならば日本拠点をつくろう」という話にまで飛躍することはありませんでした。しかし、面会に応じてくださった方が、日本のいくつかの不妊治療クリニックにドナー精子を配送した実績があることを教えてくださったのです。

日本で精子を輸入することができるとは、まったく知りませんでした。

この訪問のおかげで、私たち夫婦に「第二子」という選択肢が生まれました。1か月後、私は都内のクリニックで第二子を持つための不妊治療を開始し、幸運にも息子を妊娠することができたのです。

ドナー数で世界最大の精子バンク、日本進出の意向あり?

私たち夫婦にとっては大変貴重な情報を得たものの、精子バンクの立ち上げプロジェクトは、引き続き八方ふさがりの状態でした。

お金も尽きてきて、もう諦めるしかないのだろうかと途方に暮れかけていた2017年12月、デンマークにある、ドナー数で世界最大の民間精子バンク、クリオス・インターナショナル(以下、「クリオス」)の創業者が来日したという記事をインターネットで読みました。

日本・デンマーク外交関係樹立150周年を記念した祝賀晩餐会のため、デンマークの皇太子夫妻が来日し、クリオスの創業者も随行したことが書かれていました。

そして、日本の産婦人科医たちとの意見交換会に参加し、クリオスが日本進出の意向を匂わせたという記述を発見したのです。

私はすかさずクリオス本社に、「創業者に転送してほしい」と書いたメールを送りました。

「記事にある通り、日本進出の意向はありますか?」

と聞いてみたのです。

返事が来ることはあまり期待していませんでしたが、とにかく行動しなくてはという思いに駆られ、メールを送りました。

すると、その2日後、なんと創業者本人から、「興味はあるけれど、いろいろ難しいよね」という返事が届いたのです。

精子バンク創業者から学んだこと

クリオス創業者のオーレ・スコウ氏(以下、「オーレ」)は、地元オーフス大学のビジネススクールに通っているときに、偶然見た精子の夢をきっかけに、精子バンクを立ち上げるアイデアを思いつき、実行したビジネスマンです。

1987年にデンマーク第二の都市オーフスでクリオスを立ち上げ、その後、アメリカ、そしてキプロスにドナーを集める拠点を構え、世界中にドナー精子・卵子を供給しています。

オーレはいつも気さくに質問に応じ、私の疑問や意見に対して、率直な意見や説明を返してくれました。

時には意見が異なることもありましたが、この分野のフロントランナーであり、創造力豊かな起業家でもあるオーレから学んだことは非常に多くあります。

彼は、世界中の精子提供に関する法規制や実務上のルールを把握している、生き字引のような人です。何を聞いても、答えが頭の中に入っています。

私も彼のような知識を身につけられるよう学び続けたいと思いましたし、諦めずに挑戦を続けることも、彼から学んだことの一つです。

クリオス日本窓口の開設

1年ほどメールでのやりとりを続けた後、オーレから「そろそろ日本窓口を作ってみようか」という前向きな話をもらいました。

当時は、息子を出産した直後のタイミングでしたが、自営業には産休・育休などありません。ビジネスプランを作って社長に提案してほしいと言われたため、息子が寝ている時間を使って作業を開始。日本の精子提供の現状や、それまでの間に面会した有識者の考えなどをまとめたプレゼン資料と、日本事業への思いをまとめた資料を英語で作成し、送付しました。

その後、当時の社長やオペレーション責任者とオンラインで面談を行いました。

久しぶりの英語でのプレゼン。それも産後2か月で、いわゆる「マミーブレイン」の状態にある中、自分にうまく務まるのだろうかと緊張の極限状態に陥りながら、近くで寝ている息子がプレゼン中に起きて泣かないことを願いつつ、面談に臨みました。

この面談で何とか意気投合し、ついに「日本事業担当ディレクター」という肩書きで、クリオスの日本窓口を開設することが決まったのです。

精子バンク立ち上げへの道のりは、まだ始まったばかり。次回は、クリオスで過ごした5年間について。デンマークの自由な働き方にも触れながら、お伝えしたいと思います。