無精子症と診断された私たちの選択

はじめまして。プライベートケアクリニック東京 東京院にて、精子バンク部門のマネージャー/不妊カウンセラーを務める、伊藤ひろみと申します。2024年5月に、非匿名の精子ドナーを募る精子バンクを立ち上げ、早くも2年が経ちました。

夫の無精子症発覚

私は20代の頃、主に証券会社で企業の資金調達やM&Aを支援する投資銀行業務に携わっていました。医療とはまったく接点のない世界に身を置き、金融や財務の分野でキャリアを築くことを思い描いていました。30歳の時、同僚だった夫と結婚し、夫の社費留学への同行を決めたことをきっかけに妊活を開始。夫婦でブライダルチェックを受けたところ、夫の無精子症が判明しました。

当時は労働時間が長く、体調が優れないことも多かったため、「自分は妊娠しにくいかもしれない」という懸念から前倒しで受けた検査でした。しかし、「ついでに」と連れて行っただけの夫に不妊、それも精子がゼロであるという結果が出たことは、まさに青天の霹靂でした。一般男性の100人に1人が無精子症だと言われていますが、その「1人」がまさか自分の隣にいるなんて思ってもいませんでした。精液検査の結果を伝える先生の深刻な表情は、今も鮮明に覚えています。

約半年後、夫は精巣内に精子が存在するかを探すMicro-TESE(顕微鏡下精巣内精子採取術)という手術を受けましたが、精子を見つけることはできませんでした。私たちが、「子どものいる人生」を一度諦めた瞬間でした。

精子提供という選択肢

しかし、子どもを産み育てる道が完全に閉ざされたわけではありませんでした。私たちのような絶対的不妊の夫婦が子どもを育てる選択肢の一つとして、「精子提供」があります。

日本では1948年から慶應義塾大学病院において、提供精子を用いた人工授精(AID)が行われてきました。現在は、無精子症または性別不合の夫(女性から男性へ戸籍上の性別を変更した方)を持つ夫婦を対象に、国内16の医療機関でAIDが実施されています。これまでに国内で1〜2万人の子どもがAIDによって生まれたとされていますが、長年にわたり「ドナーに助けられて生まれた」という事実を子どもに伝えないことが一般的だったため、自らの出自を知らないまま生きている人も多いと考えられています。実態の詳細は明らかになっていません。

術後、私たちは医師から説明を受け、その後の選択肢について話し合いました。私は、夫婦二人で生きていく人生も考えていましたが、夫は「子どものいる家庭を築きたい」と言いました。そして、「君とだけでも血のつながった子どもを一緒に育てたい」と言ってくれました。その言葉を受け、精子提供を受ける決断をしました。

非匿名での精子提供

2014年当時、都内でAIDを受ける場合、慶應義塾大学病院での治療が最も一般的な選択肢でした。しかし、私たちは海外での治療を選びました。理由は、当時の日本ではドナーが匿名であり、子どもの「出自を知る権利」を保障できなかったためです。

当時、日本で知ることができるドナー情報は、血液型(夫と一致するようマッチングされる)と、提供時の職業がおそらく医学生であるという程度でした。病歴すら分かりません。私は、「もし自分が精子提供で生まれた子どもだったら、ドナーがどこの誰なのか知りたくなるだろう」と感じました。

実際に、精子提供で生まれ、その事実を成人後に偶然知った方の中には、「ドナーを知りたい」「会ってみたい」と訴える人もいました。また、私自身も親として、「ドナーがどのような人なのか」を知りたいと思うようになりました。

海外には、非匿名での精子提供を認めている国があります。当時、この分野について何の知識も持っていませんでしたが、海外の精子バンクに問い合わせたところ、デンマークやイギリスでは、非匿名ドナーからの精子提供を受けられることを知りました。

最終的に、デンマークから輸入した非匿名ドナーの提供精子を用いた治療をイギリスで受け、2026年現在、私たちは小学4年生の娘と小学2年生の息子を育てています。二人は同じドナーの提供精子によって生まれました。

子どもたちはイギリスの法律に基づき、18歳になると、公的機関を通じてドナーの氏名・生年月日・最終登録住所を知ることができます。また、治療を受ける時点で、ドナーのプロフィール(身元非特定情報)を閲覧することができたため、病歴や家族構成、職業、提供の動機などを知ったうえで、安心して治療を受けることができました。

子どもたちへの告知と反応

私たちは、子どもたちが2歳頃から絵本を使って告知を始めました。「パパとママは、あなたたちにずっと会いたかったこと」「生まれてきてくれたことは奇跡であり、本当に嬉しかったこと」、そして「誕生を助けてくれた“ドナーさん”という特別な存在がいて、もし会いたいと思った時には、将来的に連絡を取れる可能性があること」を伝えています。

もし自然妊娠していたら、ここまで意識的に愛情を伝える機会は持たなかったかもしれません。今のところ、娘は自分の生まれ方をとても前向きに受け止めており、ドナーさんについても嬉しそうに話しています。時には、私が思いつかないような視点から意見を述べることもあります。

「生まれた人がドナーさんに会えるようにした方がいい?でも、会ってみて思っていた人と違ったらどうする?」
「ドナーさんが足りなくなったらどうしたらいい?」
「ドナーさんにお金(補償)を払うことをどう思う?」

こうした会話を、私たちは日々重ねています。子どもであっても、「精子提供で生まれた一人の人間」として尊重しなければならないと常々感じています。

一方で、息子は今のところこの話題にほとんど関心を示さず、自分の意見を述べることもありません。成長とともに、二人の考えや感じ方は変化していくでしょう。その都度しっかりと話を聞き、たとえ自分とは異なる意見だったとしても受け止め、一緒に考えていきたいと思っています。

今度は私が「ドナー」に

その後、「ドナーさんへの感謝の気持ちを形にしたい」という思いから、2020年には私自身が非匿名の卵子ドナーとなり、知人夫婦のもとにお子さんが誕生しました。お子さんには何度か会ったこともありますが、元気に育っている姿を見るたびに嬉しく感じています。

私たち夫婦にとって、ドナーさんは人生で最も大切な宝物を授けて下さった恩人です。私たちが感じた大きな喜びを、そのご夫婦にも感じていただけたことで、ドナーという存在の素晴らしさを改めて実感しました。

こうした個人的な経験が、日本で非匿名の精子バンクを立ち上げる原動力となり、8年かけて夢の実現にたどり着きました。次回は、プライベートケアクリニック東京で精子バンクを立ち上げるまでの経緯について、お話ししたいと思います。